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イエイツ・テーゼ

美術に対する僕のアプローチが変わってきているのをこのところ感じる。

 

ここ2年程鋳造での作品制作をやれず、

今回の個展は久々に新規制作を行った。

実際に制作しなかったからと言って制作に関わるコンセプトの積上げや

思考に対するアプローチは変わらないのであるが、

実際に制作してそこに自分の持つ言葉を当てはめていくと

なんだか自分が持つ美術に対する触感みたいものが変わってるんではないかと

今回すごく感じた。やはり僕は作る人間なのだなあ。

 

学生時代から美術というものに取り憑かれて、

現代美術というものに関わり、見てきた。

そして現代美術というものが西洋美術に端を発する以上

西洋美術のお作法に則っているんだと感じた。

つまり、「観察して描く」という事からはじまり、

「対象を認知し分析する」という態度だ。

そこには対象と自分との間に距離がある。

 

一方西洋以外の美術はどうなのだろうか。

西洋に影響される以前で考えなくてはならないのではあるが、

アフリカの仮面はどうか、アメリカインディアンのトーテンポールはどうか

アボリジニの絵画はどうか、そして日本の仏像はどうか・・・

それは作るという事自体が祈りとともに対象の中に中に入っていく行為である。

対象となるものがあまりに大きい存在のため

描く、作る、という行為が祈る、捧げることと同義になっている。

エリアとしてはヨーロッパを中心とする西洋文化より、

アジア、アフリカ、オセアニア、南北アメリカを統合した

これらの文化を持つエリアの方が広大なため、

こちらの方が人間が自然派生的に持つ文化感覚としては普遍性を持つのではないか?

いや、ヨーロッパもルネサンス以前、もしくは民衆の信仰態度を考えると

そうだったんじゃないか?とケルトやバスクのことがふと頭をよぎり、感じた。

 

最近そんな事を感じていたので名古屋で日本料理店、

出雲を営む博覧強記な友人、大谷重治氏に投げかけてみたところ

「それね、イエイツ・テーゼっていうんです。」と教えてくれた。

フランセス・イエイツが確立した「理性知」と「魔術知」の二元論。

僕は今「理性知」から「魔術知」への過程を体感しているのかもしれない。

また宿題をいただいた気分だ。

今朝も5時前からディープな会話で盛り上がってしまった。

ありがとう、頼りにしてます。シゲちゃん。